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ロケット開発の歴史

ジュール・ベルヌ(Jules Verne)
1828-1905 フランス
SF/ファンタジー作家。1865年に書かれたSF、"De la Terre a la Lune" ("From The Earth to the Moon" / "月世界旅行"(または"地球から月へ"、"月世界へ行く"など))は それまでの荒唐無稽な月旅行寓話とは一線を画する歴史的な作品であった。 巨大な大砲で打ち出される3人乗りの宇宙船は、地球引力の脱出速度で飛行する。 そして宇宙空間を飛行する宇宙船の中では無重力に晒される。 当時知りうる限りの科学を盛り込み、はじめて真空を飛行する「宇宙船」の観念を描いたこの作品は、 単なるファンタジーの領域を飛び出し、世界の多くの読者に「月旅行」に対するあこがれを抱かせた。
そしてその読者の中には、後にロケット開発に大きな足跡を残す科学者たちがいた。 まさに月旅行の生みの親とも言うべき作品である。
ワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館には、アポロと並んで「月世界旅行」に登場する ロケット(?)の実物大模型が展示されています。
コンスタンチン・エドアルドビッチ・チオルコフスキー(Циолковский Константин Эдуардович : Konstantin Eduardovich Tsiolkovsky)
1857-1935 ロシア
小さい頃から科学に興味を持ち、高校の数学・物理の教師となった彼は、「月世界旅行」の影響をうけ、20代には独学で宇宙旅行の理論を研究し始める。 そして反作用を利用するロケットこそが、真空の宇宙空間でも旅行可能な乗り物であることを発見する。 そして有名なロケットの公式(ロケットの速度は、単に発射時の全重量(wet mass)と乾燥重量(dry mass)、そして噴射ガスの速度のみで決まる)を導き出す。 それだけではなく、もっとも理想的なロケットは液体水素と液体酸素を燃料とする多段式であることまで追求している。
"The Earth is the cradle of the mind, but we cannot live forever in a cradle" 「地球は人類のゆりかごである。しかし、人類は永遠にゆりかごにとどまることはないだろう。」 1911年のチオルコフスキーの言葉である。
ロバート・ハッチンス・ゴダード(Robert Hutchins Goddard)
1882-1945 アメリカ
小さい頃から「月世界旅行」をはじめとするSFに没頭し、17歳になるころにはロケット研究の道を歩み始める。 チオルコフスキーの存在は知らず、独自に研究を進め、液体燃料ロケットにたどり着く。 第一次世界大戦に軍から予算を引き出し、1919にはロケット理論の論文を発表。 そしてついに1926年、2.5秒間の、史上初の液体燃料ロケット飛行を成功させる。 のちに大西洋横断のチャールズ・リンドバーグ(Charles Augustus Lindbergh)の資金協力を得て、 ジャイロを使用した姿勢制御装置など、近代ロケットの基礎技術のほとんどを開発し、「近代ロケットの父」と呼ばれる。 のちにアメリカ政府はアポロ計画のために、未亡人に膨大な特許料を支払ったという。
ヘルマン・オーベルト(Hermann Oberth)
1894-1989 ドイツ
少年時代、暗記するほど「月世界旅行」を読んだという。 そして物理を専攻し、1923年にはゴダードとは独立して92ページの論文 "Die Rakete zu den Planetenraumen"("The Rocket into Planetary Space" / "惑星空間へのロケット")を発表。 さらに1929年に429ページのロングバージョンを出版すると大人気となる。 またこの著書のファンが集まって1927年ドイツに世界初の「宇宙旅行協会」が設立される。 さらにドイツの Fritz Langの映画「月の女“Girl in the Moon”」のテクニカルアドバイザとなり、 映画の科学的リアリティを高めるのに貢献した。 そして多くの一般の人々が、この映画を通して「月旅行」を身近に感じるようになったのである。
セルゲイ・パバロピッチ・コロリョフ(Сергей Павлович Королев : Sergei Pavlovich Korolev)
1907-1966 ソビエト
モスクワの大学で、飛行機設計の大家 アンドレー・ニコラエピッチ・ツポレフ (Андрей Николаевич Туполев : Andrei Nikolaevich Tupolev)(1888-1972) に航空工学を学ぶ。 第二次大戦後、ソビエトの調査隊リーダーとしてペーネミュンデを調査。 ドイツから来た技術者たちからV-2の技術を吸収し、ついに世界初の人工衛星 「スプートニク(Cпутник:Sputnik)」を打ち上げる。 その後も各種探査衛星やヴォストーク(Восток:Vostok)、ソユーズ(СОЮЗ:Soyuz)、そして月を目指すN-1ロケット開発と、 ソビエトの宇宙開発の中心であり続けた。 しかし、59歳の若さで月旅行への志半ばにして病死。N-1はついに月に向かうことはなかった。
なお、ソビエト当局が暗殺を恐れたため、生前に彼の存在が西側に明かされることは無かった。
ウェルナー・フォン・ブラウン(Wernher Von Braun)
1912-1977 ドイツ
中学時代、オーベルトの「惑星空間へのロケット」に感銘し、ドイツ「宇宙旅行協会(Verein fuer Raumschiffahrt:VfR)」に設立当初から参加。 オーベルトのもとで熱心にロケットの研究に没頭する。 アルバイトのタクシー運転中に、ドイツ陸軍のロケット技師を乗せたのをきっかけに、 軍の豊潤な予算でロケット開発を行う機会を得る。 そして北海にほど近い秘密基地ペーネミュンデ(Peenemunde)にて5000人以上の技術者を指揮し、 ついに当時世界最大の弾道ミサイルA-4を完成。 ヒトラーの命でV-2と名前を変えられ、第二次大戦中のロンドン空襲に使用される。
大戦終了後、フォン・ブラウンは技術者と多くの資料、部品とともにアメリカに投降。 そして残りの技術者はソビエトに行き、のちに2つのロケット大国が誕生する。
フォン・ブラウンはアラバマ州ハンツビルの米陸軍レッドストーン兵器廠にて レッドストーン、ジュピター、ジュノーロケットを完成する。 そしてNASAマーシャル宇宙飛行センターの初代所長となってサターンロケットを開発、 アポロ計画を成功に導いたのである。

関連書籍・ビデオ

  • [DVD] Space Race 宇宙へ ~冷戦と二人の天才~

    NHKエンタープライズ 2006/10/27 7,403円

    米ソの宇宙進出競走をふたりの天才科学者を通して描いた英国BBC制作のドキュメンタリードラマ。 東西冷戦が激しくなる中、フォン・ブラウン、セルゲイ・コロリョフのふたりの天才科学者が国の威信を賭けて、宇宙進出へ向け競い合う。 第1話から最終第4話までを収録。各話約51分。

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  • 月をめざした二人の科学者―アポロとスプートニクの軌跡

    的川 泰宣/中公新書 2000/12/20 780円

    宇宙開発競争をくりひろげた冷戦期の米ソは、それぞれ稀有な才能を擁していた。ソ連には、粛清で強制収容所に送られながら、後に共産党中央委員会を「恫喝」して世界初の人工衛星スプートニクを打ち上げたコロリョフ。アメリカには、「ナチスのミサイル開発者」と白眼視されながらも、アポロ計画を成功に導いたフォン・ブラウン。遠く離れた地にありながら、同じように少年の日の夢を追い、宇宙をめざした二人の軌跡。

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  • 月世界へ行く "From The Earth to the Moon"

    ジュール・ヴェルヌ/東京創元社 2005/9/10 734円

    186X年、フロリダ州に造られた巨大な大砲から、アメリカ人とフランス人の乗員3人を乗せた砲弾が打ち上げられた。ここに人類初の月旅行が開始されたのである。だがその行く手には、小天体との衝突、空気の処理、軌道のくるいなど予想外の問題が!19世紀の科学の粋を集めた本書は、その驚くべき予見と巧みなプロットによって、今日いっそう輝きを増すSF史上不朽の名作である。

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